旅は、わたしの人生において多くの選択肢の影響を与えてきました。今回は、香港、マカオ編の出会いをご紹介したいと思います。
陽朔では水墨画の世界が広がるのどかな風景が楽しめる街。川沿いには外国人が経営するゲストハウスが立ち並び、そこに世界中のバックパッカーが集まります。私はそこで知り合った外国人と片言の英語で話合い、ゲストハウスから出発する観光ツアーに自転車でサイクリングしました。その時にたまたま一緒のツアーだった日本人がたけし。北京を出発してほとんど日本人と話をしてこなかったこともあり、同年代の彼の気さくな性格も相待って非常に親しくなりました。当時のバックパッカーの共通項は、これから自分が何をしたいのかそれを探しに来ているという価値観を持った人が多かったように思います。類は友を呼ぶということで、たまたま知り合いになったのかもしれませんが、彼とは妙に馬が合いました。一緒に過ごしながらも、いつまでもここにいるわけにもいきません。出発するタイミングは自分で決めなければいけないのです。もう少しこの街に残るよという彼と別れ、私は愛読書「深夜特急」で舞台となった香港に向かいました。
魔都と呼ばれた香港はイギリスが所有する街でしたが、1999年に中国に返還された当時も一国二制度として、独自の存在感を発信していました。重慶マンションとよばれるビルは外国人バックパッカーが集まる巣窟といった雰囲気で、多国籍な人種が集まり、一番レートがいいと言われた両替商、違法なブランドコピー商品が数多く販売されていました。それだけでなく、麻薬や売春の声をかけてくる何人かわからない人など非常に怪しい場所で集まる場所で寝泊まりをしていました。(数10年後、同じ場所を訪れた際、よくこのような場所で寝泊まりしてたなとゾッとするような雰囲気。若い時の怖いもの知らずは本当にすごい。。。)そんな悪の巣窟のような場所から100万ドルの夜景と呼ばれる香港島を往復するスターフェリーに乗るのが私にとっては大好きな時間でした。華やかなビジネス街や高層ビルが立ち並び、観光地としても有名な香港島に向かう自分がなんだか特別な何かになったような、成り上がったようなそんな錯覚に落ちました。片道60円ちょっとでこのような気持ちになれるスターフェリーを1日に何度も往復をしました。また、貧乏旅行のバックパッカーをしていた私は、日本人マダムから声をかけられ、飲茶をご馳走になることもありました。日本人の優しさに触れた瞬間でもありました。
愛読書「深夜特急」の影響を受けていた私は、マカオに行きカジノでひと勝負することにしました。当時日本円が強いとはいえ、実際に手持ちで持って行った金額はおそらく50万円ほどしかなかったはずです。なくなれば、ユーラシア大陸横断どころか一気に日本に帰国となってしまいます。「深夜特急」では主人公がマカオにサイコロカジノの勝負に行き、「大小」というゲームでディーラーとの駆け引きをするシーンがあります。それらを熟読していた私は、いざ、カジノのテーブルにつきました。なけなしのお金でこれ以上減ったらいけないという金額を決め、現金をカジノ用のコイン(チップ)に交換し、どきどきしながら場所を探しました。大小のルールは非常にシンプルでサイコロを三つ、機械式のサイロのような中で、ディーラーが回します。三つのサイコロの合計の数字によって勝敗が決まります。一番小さい数は三つとも1の場合の合計3、一番大きい数字は三つとも6の場合の合計18。よって、合計が10以下であれば小、11以上であれば大。小か大ですので、選択肢は2分の1。大が出たのか、小が出たのかのゲームの履歴はディーラーの隣の電光掲示板に示されるようになっています。普通に考えると大と小の確率は50%です。よって、電光掲示板には、このテーブルで今までにでた結果として、「大」と「小」が不規則に並んでいます。そんな中、あるテーブルでは、掲示板に「大」が連続で5回程並んでいるテーブルがありました。こんなに続くと、次も「大」が出るのではという期待と、次こそは「小」が出るはずという期待感を持ったギャンブラーが自分の持っているチップをテーブルに投入します。続いてまたも「大」が出ました。わぁ〜という歓声にも悲鳴にもとれるような声が会場に響き渡り、それを聞いた多くのギャンブラーがそのテーブルに集まっていきます。どのテーブルに座ればいいかわからなかった私は一旦、このテーブルに張ってみようと思いました。なんとなく「大」がもう一回来るのではと直感を信じて、手持ちにあったチップの一枚を「大」にかけました。「大」と「小」の場には前回の倍くらいのチップが大量に積んであります。緊張の瞬間を待ちます。「カラン、カラン、カラーン」場を見つめるみんなの唾を飲み込む音が聞こえるようです。合計は三つのサイコロが全て5。合計15の大!やった!!!ビギナーズラック!!と思った瞬間、場にあった全てのコインがディーラーに回収されていきました。大と小に投じた全ての人が大きなため息と共に場を引き上げていきます。忘れていました。三つのサイコロが全て同じ数字(ゾロ目)の場合は、どの数字でもディーラーの勝ち。「大」、「小」にかけていたもの全てが回収されるというルールになっていたのです。一方で、数人が多くのコインを得ていました。なんとゾロ目が出ることを予測していた人がいたのです。通常「大」か「小」かを正解するだけでは賭け金の2倍にしかなりませんが、「ゾロ目」に見事と当たると24倍、合計数字まで当てるとなんと150倍となるのです。カジノですので、必ず最終的にはカジノ側が儲かるような仕組みになっています。しかし、全て巻き上げると誰もカジノに来ようとはしません。どこで止めるかがカジノにおける勝負の鉄則なのだとその時知りました。ディーラーの立場を考えると、一番儲かるところは場を温めるだけ温めておいて、多くの賭け金が集まったところでゾロ目を出して巻き上げるそんなタイミングがあるはずです。(これは全て深夜特急から学んだことです)きっとどこかで勝負をかけてくるはず。私は、「大」や「小」がおかしいと思うくらい重なっているテーブルを探し回って、そのようなところに対してゾロ目にはる(当たったら24倍)という手段でテーブルを回るようになりました。とはいえ、そんなに上手くいくはずがありません。残りの手元のコインの枚数もどんどん減っていきました。テーブルには最低金額が示されている高額なテーブルには賭け金が足りません。単価の安いテーブルでしか賭け金は投入できませんでしたが、当初これくらいでやめようと思っていた両替分はほとんど尽きかけていました。旅行資金として溜めたお金がどんどん減っていく感覚で、まさかマカオで旅は終わってしまうのではないか、そんな焦りを感じた時でした。すでにカジノに入ってから数時間が経っていました。私は作戦を変えて、単価が低くてなんとなく見かけが弱そうなディーラーのテーブルでかけるのをやめて、羽振りが良さそうなギャンブラーを見定めるようにしました。一喜一憂して大声で騒いでいるような感じではなく、物静かで勝負に対してあまり熱を入れすぎていないような客を見つけて、同じようなテーブルにつき、その人がどのような戦い方をしているのかを自分は賭けずに見て学ぶようにしたのです。「大」「小」ではなく、合計数字の9〜12(当たれば6倍)にそれぞれ1枚ずつ掛けて、リスク分散をしながら高確率で勝っていくというスタイルでした。なるほど一か八かでは勝てないゲームであることがわかってきました。確率論で勝負をして行っても手持ち資金がないもの(私)は簡単には勝てません。同じような戦い方はできないことがわかりました。さあ、残りわずかとなりました。私は原点に戻り、再度ディーラーがゾロ目を出すタイミングの卓を探すことにしました。すると、たまたま空いている椅子に座ったテーブルが、「小」が続けて連続し、それが5回連続「小」が続いたのです。テーブルの周りがザワザワし始めました。その時、思いました。『この流れが続けばきっと、ゾロ目がどこかのタイミングで来る。勝負はどのタイミングでディーラーがゾロ目を出すかだ、まだそれほど場は温まっていない。一度「小」を張ろう』と思い、恐る恐る小にコインを置きました。なんとまた小がきました。燃えたぎるような興奮をしている自分に気付きました。悲鳴にも似た歓声が上がるテーブルの声を聞いて、更に多くのギャンブラーが集まってきました。『ついにその時が来るのかもしれない。』私はついに本日一度も当たったことの無かったゾロ目に手持ちのコインの半分を置きました。これが外れたらもう止めて帰ろう。置いた瞬間、ディーラーがギラリと私を見る視線に気付きました。自分の心臓の鼓動が聞こえるような感覚に陥ります。「カラン、カラン、カラーン」甲高く響いたその後、なんとゾロ目が出たのです!全身の毛穴から一気に汗が噴き出すような感覚。まさにビギナーズラック・・興奮したまま、ここでカジノを出よう、潮時だと思いました。両替すると合計にして約10万円。貧乏旅行としては約1ヶ月分ほどを獲得したことになります。その時、ふっと家族に全く連絡していなかったことを思い出し、国際電話をかけました。大変興奮していたのでしょう。声を上づらせながら、今までの旅の無事と初めてのカジノで勝ったことを報告していました。のちに両親が外務省に行方不明届を出す、最後の連絡になるとはこの時はまだ何も知りませんでした。